最近、眠りが浅く、夢ばかり見る。
たいていは、幸せだった頃の夢だ。
新築のマンションに住み、最先端の家電に囲まれ、好きなギターと満足なオーディオがあって…、遥がいて、嫁さんがいる。
遥と僕がじゃれていて、嫁さんが家事をしている。
そんな、ステレオタイプの「幸せ」を、中途半端に一度経験したモノだから、ひとりぼっちになった今でも、その亡霊は、僕に取り憑いて離れない。
心理学とか、そういう学問の先生なら、
「それはあなたが、本当に求めているモノが、夢となって現れているのです」
なんて言いそうだ。
…俺ぁ、別にいわゆる「幸せな家庭生活」なんか求めてはいない。
求めてはいないが、憧れてはいる。
どうしようもなく愛しいが、手に入れたいとは思わない。
…片想いに似ている。
その想いは、常に悲しみをともなっている。
理由はわからない。
この悲しみを、鬱というのかもしれない。
悲しみは、共有すれば薄まるが、今の僕には、心底悲しみを共有できる人間はいない。
一部ずつなら、数人、いるにはいるが…。
皆、社会で責任を背負って、頑張っている。
僕みたいなカスの悲しみに付き合っているヒマがあるワケもない。
しかし、僕も、このよくわからない悲しみと付き合うのに、少々疲れを感じる。
「死んだら楽になるかなぁ」なんてことを思うのは、そんな時だ。
死ぬとすれば、12月27か28日を選ぶだろう。
理由は僕と、この世であと2人だけ知っている。
突発的に死ぬことも、ない、とは言い切れない。
僕を応援してくれる周りの皆さんへの、感謝の気持ちがないではないが、感謝だけでは生きて行けない。
友人と、サム・マネーと、希望があればよい、と言ったのはチャップリンか。
僕には希望がない。
これはかなり決定的に、ない。
まったくないワケではないが、かなり薄い希望と言わざるを得ない。
なんでこうなったのか?
今さら考えても、仕方ない。
人間は、生きている間に、数回は挫折に出会うだろう。
そして、それを克服して、より強い「大人」に成長するのだろう。
僕が今、食らっている挫折に、僕は押し潰されるかもしれない。
責任は、誰にもない。
あるとすれば、僕の弱さだ。
僕は、弱い。
この弱さを見抜いたからこそ、元嫁も僕から離れたのだろうし、会おうともしないのだろう。
遥には、僕の弱さを見せたくないが、女の子とは言え女だ、見抜くかもしれない。
そういう意味では、もう遥に逢うべきじゃないのかもしれない。
遥に会えない、となれば、いよいよ僕に、「希望」はない。
いや、うっすらとした希望が、実は僕にもあるが、それは誰にも理解されない。
希望というのは、自分以外の誰かと、同じベクトルでもって、理解し合うことができて、ようやく希望らしいカタチになる(と、僕はそう思う)。
一人で、薄っぺらな希望を握りしめて、生き抜くだけの強さが、僕にあるか。
…わからない。
しかし、別のことがわかる。
本当の友達、というヤツだ。
生きている中で、逆風を食らっている時にだけ、本当の友達、というのはわかる…、ような気がする。
人生自体、順風満帆の時には、誰でも友達さ。
しかし、海が荒れた途端、離れていくヤツがいる。
向こうからはわかりにくいだろうが、こっちからはよくわかる。
挫折を食らっている時には、友達を取捨選択するのにはもってこいだ。
…最近、そんなことを感じ、考えながら、生きています。
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